みなさんから寄せられた思い出

岐阜国体に参加できた喜び/水谷 学さん(岐阜市)

 「おい。あれ、木原美知子やないか?」
 「そうや。やっぱ、大きいなあ。」
 昭和40年、県営プールの西広場に集合した夏季大会閉会式に臨む都道府県代表の一団。その中にあって、岡山の県旗を持った木原さんは一際目立っていた。
 私たち高校生は大会補助員として、プールサイドの観覧席で各県旗を降ろす仕事などをしていた。
 それまで、日常生活で有名人を見かけることがなかったこともあり、岡山の県旗を持って出番を待っている木原さん。そして、閉会式で行進する木原さんの存在は、まぶしく輝かしいものであった。そんな一コマが、今も心に残っている。
 秋季大会においても、開会式で県旗の掲揚などの仕事をした。このときは、県営陸上競技場のバックスタンドの聖火台近くで宮城県の県旗を掲揚した。国歌にあわせて、国旗と47都道府県旗がそろうようにということで、事前に何度も練習をした。それによって掲揚のタイミングはそろうようになったが、1つ心配があった。それは、掲揚の縄に県旗が巻き込まないかということであった。当時の掲揚のための縄は布製のロープで、縒りがかかっているために、県旗が揚がるにつれて、ロープに巻き込まれ、上に揚がったときには旗の半分ほどが見えないような状況になることもあった。
 開会式当日は、少々、風があった。県旗が揚がるにつれて、縄に巻き込まれると、旗のすべて見えない恐れがある。国歌にあわせながら、縒りが強くかからないように気をつけた。宮城県の旗がなびいたとき、岐阜国体を高校生である自分たちも支えているのだという自負心を少し感じとった。
 この開会式では、当時の高校生男子が棒を使ったマスゲームを。女子は、伝統工芸品の傘を使った創作ダンスを披露した。これにも多くの練習が積み重ねられていたが、当日、成功裏に終了した。国体を支えている自分を多くの高校生が実感できた瞬間でもあった。
 平成24年に開催される「ぎふ清流国体」「ぎふ清流大会」でも、ボランティアとして多くの若者が参加すると思う。多くの感動と思い出を心に刻みつけ、新たな自分の発見につながるような国体・大会となることを願っている。