みなさんから寄せられた思い出

45年前の岐阜国体の思い出/田中 英也さん(岐阜市)

前略
 12月4日(土)の岐阜新聞「45年前の岐阜国体の思い出」の記事を見て投稿しました。

 

 昭和40年 第20回 岐阜国体
 卓球成年男子 代表選手 田中英也


 私は当時、中京大学の4年で、卓球競技の成年男子の選手として、本戦に出場しました。本大会の3~4年前、強化選手に選ばれ、以来、時々の合宿、強化練習、遠征試合等々で、沢山の経験を、積ませて頂きました。本番直前も、2週間前に中津川に入り、大会前でも、かなりハードな練習をやった記憶があります。特に印象に残っているのは、毎日毎日、宿舎の木曽川山荘から会場のスポーツセンター(現中津川サンライフ)まで、約10kmをランニングで往復したこと、アップダウンの道が多く、たいへんきつかった事を憶えています。また、会場のスポーツセンターが、当時としては斬新なデザインで、ドーム型のシルバーの屋根がとても印象に残っています。大会当日は、秋なのにたいへん暑い日で、もちろん冷暖房設備などなく、入場者が多過ぎて酸欠状態、試合の途中なのに試合を中断させて、酸素ボンベで会場内に空気を注入したのには驚きました。それくらい満員盛況だったということです。
 試合が始まり、我々成年男子は全県出場種目で、組合せもきびしかったのですが、順調に勝ち進み、強豪、福岡、和歌山県チームを撃破し、準決勝に進出、相手は時の日本チャンピオン小中健選手。そして、後に世界チャンピオンになった河野満選手の青森県チームでした。結果は、3対1で敗れ、銅メダルでしたが、県勢チームは一般軟式男女の優勝。成年女子、高校生の頑張りもあり、県卓球史上、初の総合優勝を飾り、関係者皆で大喜びしたことを憶えています。その後、岐阜国体から7年連続で国体に出場しました。大分国体で優勝、長崎で準優勝、その他でも1・2回入賞した記憶がありますが、やはり、地元、岐阜国体の思い出が一番です。沢山の声援に後押しされ、武者震いがくるくらい燃えに燃え、力いっぱい頑張ったあの感動、今思い出しても一番輝いた青春時代でした。自分の宝物です。こうやってペンを走らせていると、次々といろんなことが蘇ってきます。開会式長良の県営陸上競技場を、揃いの真っ赤なセーターと真っ白なトレパン姿で、堂々入場行進したこと、天皇・皇后両陛下をお迎えし、当時の松野県知事が声高らかに、開会宣言をされたこと、一県民として、選手として、とても誇らしく思えました。どこからか、♪黄金色に太陽は燃え、青空に広く・・・♪と、岐阜国体賛歌が聞こえてきそうな気がしてきました。45年前の岐阜国体の思い出です。

 

追伸
 私は今、お世話になった卓球界に恩返しするつもりで、岐阜市内の瑞雲町で卓球の道場を開き、自分の孫みたいな子供達に指導する毎日に明け暮れています。将来の国体選手、そして岐阜の地からオリンピック選手の出現を夢見ながら。また、私の息子、田中卓也は現在、JOCのホープスナショナルチームのコーチをしていて、その選手の中に、岐阜県(武芸川町)出身の酒井明日翔(あすか)君、中2、(現エリートアカデミー東京)がいます。先日(11月19日~21日)全日本カデット2年の部で、優勝しました。昨年の1年の部に続き、2連覇でした。近い将来、ひょっとしたら岐阜県の卓球界から、オリンピック選手第一号が生まれるかも知れません。大いに期待しています。

 

成年男子シングルス

昭和40年10月 成年男子シングル出場

一般ダブルス

昭和40年10月 中津川スポーツセンター 岐阜県代表 田中・吉本組(一般ダブルス)