みなさんから寄せられた思い出

警衛広報/大里 重雄さん(各務原市)

 昭和40年の夏と秋、岐阜県において一大イベント「岐阜国体」が開催され、最終日は岐阜県が男女総合優勝、天皇杯・皇后杯を受賞という輝かしい成績を収めたことは永久に岐阜県の歴史に残る快挙であった。
 この岐阜国体には、夏季大会には皇太子殿下(現天皇陛下)、秋季大会には昭和天皇皇后両陛下が行幸啓になられました。両陛下は岐阜公園に隣接する「万松館」をお宿として、1週間にわたり県内の各競技会場をはじめ、産業、教育、社会福祉の施設をご視察になられました。
 岐阜県警も創立以来の大行事とあって、昭和40年4月に岐阜国体警務警備本部が設置され、30数名が専従員となり、警衛警備業務に全力をあげて取り組みました。
 当時私は本部の秘書課で広報係長として「ラジオ岐阜」の定時番組「警察だより」を受け持っていたので「警衛広報」を担当させられました。同じ広報でも「ラジオ広報」と「警衛広報」とは全く異質のものでした。
 警務広報の一番中心は行幸啓の車列の前を走る前広報車、後ろを走る後広報車のマイクによる広報活動でした。そのためには広報車に乗車して、マイクで放送するアナウンサー(うぐいす嬢と称す)が必要でした。そのうぐいす嬢は警察本部各課から美声の持ち主、女子職員10名が選抜されました。なにしろ全員素人なので、放送に適する訓練が必要ということでNHK名古屋放送局から指導員を招き、発音練習「アイウエオアオ」とか早口言葉「隣の客はよく柿食う客」といった指導をうけました。
 さて、本番では前広報車は行幸の車列の10分前を走り、車列の中の警護車と連絡を取りながら、日の丸の旗を持って並んでいる歓迎者に対し、「ただ今陛下のお車は○○町を通過して△△橋にかかりました」等の放送をして緊張感とか期待感を生じさせました。後広報車は車列の広報を走り、交通規制の協力を感謝し、交通を平常の流れに戻すための広報活動が主な任務でした。私はいつも前広報車の後部に座り、放送内容のチェックと歓迎線の状況を注視しながら、うぐいす嬢は運転席の隣でマイクを握り、放送を続けました
 平常なら数多くの車が走っている大道だが、当日は1台の車も通らぬ広々とした道路、しかも西側には日の丸を持った大勢の人たちの歓迎の線、その前を悠々と走るのはあたかも凱旋将軍になったような錯覚と万一不慮の事案発生を予測しての緊張感が交錯した覚えでした。光陰矢のごとしのたとえ、岐阜国体からはや40数年になろうとしている。
 当時娘盛りだったうぐいす嬢の皆さんも今頃は白髪まじりの良いおばあちゃんになっていることだろう。