みなさんから寄せられた思い出

「昭和40年岐阜国体」を振り返って/梅田 栄二さん(岐阜市)

 私は、38年(26歳)結婚し、翌39年長男が誕生しました。その年に東京オリンピックが開催され、同時に「東海道新幹線」も開通して国体の距離が近くなった感がしました。本県は全国の人口の重心であり、地理的にも中心地で翌年国体が計画されており、県経済もその力を利用して発展をしました。当時、益田県事務所に勤務しておりました。20代後半であり、県職の支部青年婦人部長として管内開催地周辺の清掃をはじめ、国道41号線を中心に関係する県道の清掃にも積極的に関わり、私達の年齢では再度関わることの出来ない経験をしてきました。本心としましては、翌41年には県庁が新築移転されることが決定しており、「オリンピック・国体・県庁新築移転」といった国・県が始まって以来の大規模なイベントでありました。私にとりましては、接近した三者の間に入っている「国体」を県職員で参加・協力することができ、今日まで健康であることに感謝しております。