みなさんから寄せられた思い出

思い出の昭和40年国体/谷口 敏子さん(垂井町)

 昭和40年に岐阜県で開催された「第20回国民体育大会」、思えば、青春時代の懐かしい思い出として生涯忘れることのできない感動的な大会に巡りあうことができたのです。


 当初は、「全国から選手が岐阜県にこられて競技が開催される」くらいに思っていましたがそれは大きな誤りであることに気づいたのでした。
 当町は、弓道会場として決定がなされました。
 不破高等学校グラウンドが開会式の会場になりました。また、弓道場も不破高等学校西に建設されての開催でした。その頃、朝倉街道には桜並木としての桜の植栽が進められていました。
 会場飾りや田に国体炬火を花で描こうなど計画が進み、菊づくりは1年前から大輪の鉢作りや木付け菊など始められました。失敗はできないと懸命に育てられてのボランティア活動でした。そのかいあって会場には、何百と菊でうめつくされたみごとなできばえに驚きました。
 驚くことは、これだけではありません。会場への道路沿いの田には、炬火を色鮮やかな花で植栽、描かれそれはみごとなできばえでした。これも多くの方の知恵と労力で造られたものでした。また、炬火リレーには、沿道は小学生を始め人いっぱいで町中沸きに沸いた感動のひとときでした。
 町民、いや県民のすべてがそれぞれの立場で国体にかかわっていることを身をもって教えられました。
 ボランティア、幼・保・児童・生徒も元気はつらつしていたことも大会を通じて得た大きな宝物になったことをしみじみと感じています。


 昭和40年8月1日付けで第20回国民体育大会会長石井光次郎氏から秋季大会弓道競技役員の委嘱を受け私は、気の引き締まる思いで開会式の放送役を受け持たせていただくことができました。
 こうして、20歳から22歳の国体を終えるまで、国体一色の青春であったと懐かしさでいっぱいです。


 岐阜県、各市、町・村が一体となって取り組まれた国体で、若き時代に多くの人々や全国各地からの人との交流もあり、人生経験に貴重なものであったと感謝しています。
 また、国体を契機に生き続けるものがある感動を抱く一人です。
 再び岐阜県で開催されることとなり、24年清流国体の開催を喜ぶ一人です。
 この様に国体は、開催を通じて多くの人々がかかわり、動き開催地の県民が一体となって盛り上げることが、県・市・町の活性化、飛躍発展の礎になることだと昔なつかしい国体後の発展を見た経験から身にしみて感ずる今日この頃です。
 先の国体で飛躍発展し、町民・県民の心が一つになっての邁進が今回の国体にも期待し、未来を担うこどもたちにはこの機会に生きる力の一助となることを、望むものです。