みなさんから寄せられた思い出

昭和40年岐阜国体の思い出/太田 富子さん(瑞穂市)

 昭和40年というと、結婚して間もなく当地に馴染みもない頃でした。岐阜県で国体が開催されるというので、その一環として穂積の新庁舎に天皇陛下をお迎えする事になり、それはそれは、力を入れお迎えしたものです。私達穂積駅前地区の割当てで、国体バレー女子部選手をお迎えする事になったのです。大柄な選手だけに、どうしたものかと思案、宿を提供していただく奇特な方が二軒御無理願いホッと胸をなで降ろしたものです。一軒のお家は奥深い家で裏の方で選手用の食事を調理しました(今でもその時の里芋皮むきでかゆくて真っ赤に手がなった事思い出します)。今ではその家も近代的なお家に改築され、土間だった所は、貸駐車場と様代りです。あとの一軒は和風から洋風に改築され、大変な気の入れようでした。今では改築され貸アパートに。当時先頭立ってお骨折りいただいた方は大半の方が残念乍ら、他界されています。又、食事の用意も各家庭から当番制で割り振りがあり、当時はまだ、和服にカッポー着といういで立ちでお手伝いに参加した記憶です。

 当地の中学校グランドでバレーの試合が行われるという事で、協賛の意で町内対抗バレー大会が行われる事になり、参加出来る人が選出され、堤防(現勝速神社東側)で奇声を上げ猛練習、穂積中学グランドにて青春を謳歌し走り廻った楽しい思い出があります。「国体の花」と名付け真っ赤な「サルビア」の花が道筋にあちこちで、咲き誇り「いらっしゃい。いらっしゃい」と云わんばかりに選手をお迎えしたものです。今でも、その頃の名残り「サルビア」の花が国体の花として見かけます。