みなさんから寄せられた思い出

昭和40年岐阜国体の思い出/犬飼 政子さん(岐阜市)

 昭和40年の国体時、我家は秋田県の男子高校生、陸上部の3人が民泊することになりました。
 我家は当時、配達専門の弁当屋を営んでおり、自宅、工場、従業員用の休憩室と3棟あり、テレビも置いてありました。夕方から明朝までは、空部屋になり、寝具も充実しておりましたから、新たに購入することもなく引き受けることができました。
 食事は弁当に使用する料理とサラダ、果物、おやつを追加して提供しました。私達と会話する時は標準語を使用してくれるので理解できましたが、当人達が会話している言葉は理解できませんでした。
 高校生の先輩の大学生が、ホテルの食事では満足できないと我家に食事を目的に訪れたことを思い出します。又1人の選手の両親が、突然に来岐され、宿がないということでしたので、我家の客間に宿泊されたこともありました。後日、秋田の名産品である桜の皮を使った茶封筒を送ってくださいました。
 私は当時、高校2年生で、国体のマスゲームに参加した同級生がいました。5年程前に、工場、休憩室棟を取り壊し、そのあと地に、私の家と庭を作りました。40年余の移り変わりを感じています。
 今の県知事さんが、聖火ランナーとして参加され、聖火台に点火されたと、加納中(岐阜市立)でお聞きしました。青年期に国体に参加され、今回は国体を開催する側というのも何かの御縁ではないでしょうか。