みなさんから寄せられた思い出

懺悔、そして感謝、感動、希望/土本 順子さん(土岐市)

 ♪緑をそめて朝の日が高い梢に揺れている~♪
 東京オリンピックの翌年、昭和40年、高校3年の時、第20回岐阜国体に出場し、秋晴れの青空の下、開会式の入場行進待ちの長かった事、47都道府県の最後に待ちくたびれた後、すがすがしく胸を張って入場行進した事、又、大垣西公園テニスコートで声援を背に受け、戦ったのが昨日の様に思い出されます。


 それから一巡し、また、ぎふ清流国体が、しかもソフトテニスが我が土岐市と瑞浪市で行われる事に大変懐かしさと嬉しさを感じます。

 開通して間もない新幹線での東京遠征とか、日韓親善試合とか、日々真っ黒になって部活動を一生懸命やっていた事が思い出されます。
 目を閉じて、一生懸命“無”を体感しようとしても雑念が頭を過り難しかった強化合宿の雨の日、“無の境地”というものを教えて下さった大垣の朝田先生をはじめ、技術面、メンタル面、いろいろ御指導頂いた監督、諸コーチ、諸先輩、県連の皆様方のお陰です。

 当時県外、特に全国的になると母校土岐商は、初め「トキショウ」と呼(読)んでもらえなく、「ドギショウ」でした。野球の三度の甲子園出場とか全国高校駅伝とか、他諸後輩等の活躍も有り、岐阜県の土岐市(ときし)の土岐商(ときしょう)で知名度アップして来た事、何よりです。

 当時、国体・・・国民体育大会というものがあまり認識出来てなく、部活動の延長線上に東濃大会、県大会、インターハイ、そして国体となった感じでした。
 社会人となって、軟式庭球(ソフトテニス)を続ける中で認識も出来、県の方からも、又諸師、諸先輩の御指導も有り、当時の銀行、毎土・日休みじゃなく、週1~2回の練習で、毎日練習できる大学生にも負けぬ様、県、東海、西日本、全日本、東西対抗、社会人対学生、愛知県体育館等のインドアの試合、そして国体(岐阜、大分、埼玉、福井、長崎)と毎年出場する事が出来ました。
 次は岩手国体、その先のアジア大会への志半ばにして、自分の精神力の弱さから、誰にも相談出来ず、21才で競技生活からさっと身を引いてしまった事、今となってはやり残した感じで大変悔やまれます。
 それ迄御指導頂き、お世話になりました小川宗一会長、奥田監督、諸師、諸先輩、そして何よりも社会人となってからずっとペアを組んでくれた加藤和子さん、本当に申し訳ありませんでした。そして有難うございました。

 

 そんな事も有り、今の若い人達へ

♪若い力と感激に燃えよ、若人胸を張~れ~♪

 自分なりの目標をしっかりと見つけ、それに向かってやり残す事のなき様、後悔する事のない様、良き仲間、良き相談者も見つけ、気配り、心配り、思いやりの心、強い精神力、体力を養い、人の痛みの解る人間となり、一生懸命頑張って頂きますよう、そして、3月11日、東日本大震災、一瞬の内に命を奪われてしまった多くの方々の無念を思うと、本当に心が痛み、涙が止まりませんよね! そんな中、生かされた若い力で一日も早く復旧、復興出来、力強い日本に戻れますよう御活躍を祈念いたします。

 私も生かされ残された体力、気力、人生を仕事の面でも、そして社会福祉に、スポーツ振興にと、やり残す事のなき様、精進して参りたいと思います。

 最後に岐阜県代表として5年間共に戦って来ました先輩の篠田(石田)さんと渡辺(小池)さんに教えて頂いた私の生活信条となってます福田雅之助氏の“庭球する心”をご案内させて頂いて、私の岐阜国体、国体の思い出を終ります。


      規

 

 この一球は絶対無二の一球なり
 されば身心を挙げて一打すべし
 この一球一打に技を磨き体力を鍛へ
 精神力を養ふべきなり
 この一打に今の自己を発揮すべし
 これを庭球する心といふ

 

  昭和四十三年三月

 

         福田 雅之助

総監督・監督・選手

総監督・監督・選手のみなさんと 

 

 

大垣西テニスコートでの試合

大垣西公園コートで新潟県チームと対戦

(レシーブしているのが土本さん) 

 

 

ゲートでの記念撮影

チームのみなさんと

 

 

新幹線の前で記念撮影

遠征時に新幹線の前で記念撮影

 

 

日韓親善試合での記念撮影

日韓親善試合で韓国選手と記念撮影