みなさんから寄せられた思い出

昭和40年岐阜国体民泊の思い出/堀 敬太郎さん(岐阜市)

 昭和40年は前年に新幹線東京-大阪間の開通と東京オリンピックの開催があり、日本が活気に溢れ、特に岐阜国体の開催県として諸準備が進められておりました。

 

 当時私は小、中学校P.T.A.会長等の要職中で且つ三里小学校の隣で大正末期より父が郵便切手、たばこの販売その後菓子、文房具等のよろず屋を営業中でしたが、三里公民館運営委員会において三里から国体の民泊を10余戸担当するとの議題がありましたので、私は妻と長女(高一)長男(中一)と相談し引受けた次第です。


 その後国体の概要の説明がありました。それではと、築70余年の農家で8帖2間の客間がありましたが、便所が古く改造し、電灯を明るくし、又皆さんの応援で門の内外に菊やスイートピー等の鉢を並べ、軒下には日の丸の旗や岐阜提灯をぶら下げ、ふとんを干し、テーブルを置き、一応の準備をした覚えです。


 やがて宿泊者は高知大学の監督さんと同大学生で三段飛びの選手が2泊との通知がありました。第1日は監督さんと選手と夕食会を自宅でした覚えです。
 翌日は監督さんは監督会議があり、選手は試合も終り帰ってきたので早目に夕食をし、丁度小学校の同級生で仲良くしていた友人が外車で来宅し、選手と私と娘が乗せて貰い、出来たばかりの名神高速道路を2時間ばかりドライブした覚えです。
 3日目は皆さんに送られ喜んで帰られました。
 又幸い私は縁あって開会式のリハーサルに参加し、永年の剣道歴のお陰で関市の剣道大会に応援に行きました。

 

 この度は再度国体が岐阜県にめぐり「ぎふ清流国体」と身障者の「ぎふ清流大会」があり、大いに岐阜県民こぞって参加して、山口国体の好成績に活を入れ、大いに盛り上がりのある岐阜国体となることを望んでいます。

記念撮影