みなさんから寄せられた思い出

昭和40年岐阜国体の思い出/今井 賢二さん(各務原市)

 東京オリンピックの翌年が岐阜国体とあって、昭和38年から岐阜県警察では大挙増員がはかられ、39年4月、20歳の私もその一員になりました。

 

 40年3月末新任地(各務原署)に赴任しましたが、4月には、楽器の経験があるということで、警察音楽隊員の2足目の草鞋の辞令をうけ、国体のために音楽を奏でることになりました。

 夏季国体には皇太子同妃殿下(現天皇皇后両陛下)を岐阜駅で「県民の歌」を奏でてお迎えとお送りし、秋季国体では天皇皇后両陛下を岐阜駅で「君が代」を奏でてお迎えし、お送りをしました。

 天皇陛下を目の当たりにすることなど考えられない時代、21歳にして両陛下の間近で楽器を奏でるその栄誉と喜びで、とても言い表せない緊張を持ったことを、今でも鮮烈に記憶しています。

 秋季国体では開会式にあたり、選手団入場の先導ブラスバンド(県下中学・高校・自衛隊等)最右翼列に並び、行進曲「少年騎手」「君が代マーチ」等を奏でて、ビッグデレゲーションの中心にいて、とても緊張した時間を経験しました。開会式後は、東京オリンピックのミニ版ともいえる、各種マスゲームや航空自衛隊機の飛来等のビッグイベントに感激をしたものです。

 各競技で天皇陛下のご臨席のあった競技会場へも何箇所か出向いて、君が代・表彰歌を奏でました。

 また、一般の方が観覧することが困難?な射撃(ライフル=拳銃)競技会場で日本新記録続出を目の当たりに見て驚いたものです。このような経験は誰もができるものではないこと、その年代・その時にいたからこそ経験できたものと、今感慨深く感じております。そして、その経験を誇りに思います。

 

 国体はスポーツの祭典と言われますが、半世紀近く経ってまた生地で開催されることを感慨深く、また成功することを今から望んでおります。「ぎふ清流国体」関係者諸氏のご尽力を心より祈念いたします。

 

 追伸 現知事さん 岐阜国体の炬火点火者であったことを今回の「思い出」を拝読して知りました、ご苦労さまでした。今回も開会宣言を会場で見たいものです。