みなさんから寄せられた思い出

岐阜国体の思い出/黒木 尚之さん(下呂市)

 昭和40年、戦後20年という節目を迎えた、第20回国民体育大会は、前年アジアで初めて開催され、敗戦からの復興を高らかに謳いあげた東京オリンピックの感動、感激をそのまま我が岐阜県に持ち込んで開催されました。

二十歳(はたち)の国体と銘打った岐阜国体の炬火最終ランナーには、過去の慣例に依らず、若く、将来のある、これからの日本をしょってたつであろう青年が選ばれました。

そのランナーこそ、わがクラスメートである、古田肇君、現在の岐阜県知事です。

 写真は、長良川グランド(陸上競技場)において

長良川グラウンド内を最終炬火ランナーが走っている様子です

最終炬火ランナーがスタンド前を走行する様子です

 乗鞍山頂で採火され、多くのランナーによって県内各地をリレーされてきた炬火は、この日、快晴の長良川陸上競技場に到着しました。大歓声が湧き上がる中、最終ランナーは第4コーナーの入場門から姿を現し、正面スタンド前を通過、第1コーナーから第2コーナーへと炬火は進みます。

当時炬火リレーを見た人は、何と煙の多いたいまつだろうと思われたのではないでしょうか。私は、前年のオリンピック聖火リレーを、夜到着した岐阜市役所の前で見ていましたが、大変な煙で、ランナーがよく見えなかったことを覚えています。

 私は第2コーナーのスタンドからこの写真を撮りました。

 「ふるたー」と叫んだ私の応援の声は、拍手と歓声に掻き消され、彼は颯爽と私の前を走りすぎ、炬火台への階段を一気に駆け上がり、右手に持った炬火を高々と掲げるあのポーズを決めたのです。

 

 炬火最終ランナーとしての古田肇君についての逸話を一つ。

古田肇君は、高校では柔道部でした。従って、ガニ股を基本姿勢としています。

ランナーに決まった時、私は彼に言いました。

「君はガニ股だよなー、どうするんだ?かっこ悪いんじゃないか」と、彼は

「実はそれで困っているんだ、今、体育教官の指導で、走り方、腕の振りからポーズまで一生懸命それを直しているところだ」と。

 トレーニングの甲斐あって、当日、それは見事に矯正され、皆さんが目にする炬火台のポーズの写真も綺麗に膝が揃っているのです。